創業のストーリー

「せめてお気に入りのカップで、好きな時に紅茶が飲める生活をさせてあげたい」

創業者、片山ます江のこんなつぶやきからすべては始まりました。

今から約40年ほど前、1986年の春のことです。

その日、片山はかねてより入院加療中であった知人のシスターを見舞うため、ある老人病院に行きました。

クリスチャンの片山にとって、いつもニコニコして教会で迎えてくれるシスターの存在は、とても大きな

ものでした。

しかしそんなシスターも入院からすでに3ケ月が経過していました。

「重篤な病かしら?」・・・そんな予想に反してシスターは全く病人とは思えない元気な姿で言いました。

「修道院には私の世話をする人がいないから退院できないの」

そう言った後「お茶でもいかが?」と、枕元の戸棚から紙カップを出し、

看護師さんにお湯をもらい、紅茶をふるまってくれました。

帰り道、片山の心は哀しみでいっぱいでした。

「なぜあんなに立派な方が、世話人がいないという理由だけで帰れないの?」

「病気でもなく、介護も必要としない、普通のお年寄りが安心して最期まで暮らせる場所はないの?」

そんな疑問を胸に、片山は色々と調べ始めます。そして、当時の「老人ホーム」とは介護施設であり、

身寄りのない人や経済的に恵まれない人々が入れる施設は非常に限られており、

かつ家庭的とは程遠い雰囲気・・・ということを知ります。

「ないのであれば、私が作ろう」

そんな想いから始まったのが、伸こう福祉会です。

「誰でも」は入れる安価な施設であるためには、初期投資を抑える必要があったため、

既存物件を改装して老人ホームをつくることを思いつき、地元の不動産業者を徹底的に回りました。

そして地元で使われなくなった独身寮を見つけ、結婚前に行っていたインテリアコーディネーターの経験を

活かして、自ら改装し、お年寄りの家「グラニー鎌倉」をオープンさせたのです。

後には業界の「当たり前」となる遊休施設転換型高齢者ホーム・・・実は日本で初めてつくったのが片山

でした。

 1980年代後半オープン時の「グラニー鎌倉」

働く人も、地元の教会から紹介で仕事を探していたベトナムからの難民(ボートピープル)を雇用したり、

近所の子育てが一段落した主婦に助けてもらったりして、何とか事業をスタートしました。

「誰でも入れる、家庭的な雰囲気の安価なお年寄りの家」という新しいコンセプトは顧客のみならず

行政からも高く評価され、「類似施設」と呼ばれるようになりました。

1990年代に入り、これまで順調だったグラニー事業に暗雲がたち始めます。

医療の発展やリハビリーテーションの台頭で、グラニーの入居者の状態が以前より重篤な状態になってきた

のです。 認知症の入居者も増えてきました。もともと若い人を対象につくられている「独身寮」というハー

ドを使って、いわゆる普通の人々が中心となって運営していたグラニーでは、そういった「重度介護」を

行う能力は十分とは言えませんでした。

その結果、多くの利用者がいわゆる「介護施設(特別養護老人ホーム等)」に移っていきました。

グラニーは「最後まで安心して誰もが暮らせる家」ではなく「通過施設」となってしまったのです。

その頃、介護保険制度の導入が決まり、その内容が発表されました。

介護保険という大きな節目を迎え、当時の経営陣たちは、 自分たちがこの先「シルバービジネスの成功者」

となりたいのか、 それとも「『誰かの困った』に応える問題解決型組織」であり続けたいのか?と自問し

はじめます。

そして当時持っていた施設をすべて某大手企業に売却し、

より公益性の高い「社会福祉法人」を設立して、改めて地域に寄り添って、歩むことを決断したのです。

社会福祉法人が故の「非課税」や「補助金」という優遇制度を使って特別養護老人ホームを設立し、

これまで培ってきた「接遇重視の生活施設」というノウハウと統合して、

「接遇重視の特別養護老人ホーム」という新しいコンセプトの施設をつくり、

今度こそ「誰もが、安心して、最期まで安寧に暮らせる施設をつくる」 ーそれが、次なる目標でありま

した。

社会福祉法人伸こう福祉会の特別養護老人ホーム「クロスハート栄・横浜」はこうして誕生しました。

 特別養護老人ホーム「クロスハート栄・横浜」

「利用者はお客様」「安心を届けるためのISO9001により品質管理」など、 当時の特養ホームでは一般的

でなかった方針や仕組みを導入し、 成果を積極的に外部発信することで、当時は年間500組以上の福祉関係

者が、施設に訪れていました。

全てのきっかけは、誰かの「困った」をキャッチすることから始まります。

その情報に対して解決策がなければ、

「前例がない、だからやる」

の精神で取り組み、その成果や課題を世間に広く発信することで、新しい社会の流れのきっかけができれば

いいーそれが過去から現在そして未来へと続く、私たちの願いです。

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